お父さん、単身生活を満喫でタグ「武生」が付けられているもの

 武生市街地の歴史的建造物における笏谷石の使用については、(その1)(その2)(その3)でお見せしたとおりです。武生で笏谷石は、もっと多彩に使われています。私の通勤路でみかけた笏谷石をお見せしましょう。

 まず、比較的伝統的な使い方で、小さな祠の土台の飾りに使われていました。これは武生の社寺に使われているものの影響でしょう。

 笏谷石が伝統的な日本家屋、それも豪壮な建物に主に使われていますが、実はそれ以外の建物から見つけることもできるのです。武生は北陸特有の漆喰塗りの日本家屋が美しいところですが、街中にはこのような洋館立ての家も少しはあります。洋館立てにまで使われていたのは、いかにこの石が権威ある建物に必須なものであると考えられていたかわかりますね。

 写真の建物は、元々武生郵便局の局舎として建てられたもので、最近まで近所にあった大きな私立病院の院長宅として使われていました。おそらく、この病院が8号線バイパスに移転するとともに院長の自宅としの使用を終えたのではないかと思われますが、現在は一級建築士事務所の建物になっています。

 福井の周辺では、笏谷石には敬意がはらわれていることは紹介したとおりです。そこで、折りたたみ式自転車は届いたし、それを活用して、もう少し実際の使用例を探してみましたのでご覧下さい。

 まずは、武生市内の正覚寺山門です。石碑にあるように、この場所は以前は新善光寺城といわれる南北朝時代の砦があったところだそうです。太平記に出てくるのがそれです。そして奥に見えるのがその山門です。以前は領主本多家の府中館にあったものが移築されたものだそうです。

どこが笏谷石かというと・・・。

 武生といえば笏谷石(しゃくだにいし)、といっても、本当は産地は福井市なのですが、この石には地元の人は特に思いいれがあります。「あの家の基礎は笏谷石で」と語れば、かなりの格式のある家だと言っていることになります。

 この写真は武生から西に行って山を越えたところにある越前海岸、旧河野村にある右近家の屋敷の石畳です。ちょっと分かりにくいかも知れませんが、現場で見ると特徴のある美しい緑色の笏谷石です。この屋敷の礎石は殆どが笏谷石です。

 ずし(辻子)とは、武生で古くから街中の細道のことを指します。私が小さい頃住んでいた福岡の町でも、ごく希にそのような道がありましたが、単に細道と読んでいたような気がします。たぶん、呼び習わした名前が伝わってこなかったんでしょうね。なお、関西には今でも辻子という地名は多く残るようです。

 武生にはいくつかそのような辻子(ずし)がありまして、今回紹介するのは「喜斎が辻子(きさいがずし)」です。馬場通にある、うどんすきの「山むろ」の左の小さな筋が「喜斎が辻子(きさいがずし)」。江戸時代には仏師が多くすんだということですから、零細な手工業者の住む長屋のようなものが並んでいたのでしょう、今でもその雰囲気があります。

 そこをずっと入っていくと、このようなちょっとした公園のような空き地があります。これが「越前出目屋敷(跡)」なのです。越前出目と聞いてすぐにピンと来る人はほとんどいないでしょう。私も武生に来てはじめて知りました。でも、謡曲を趣味にする方で、能面にも造詣が深ければ、かならず耳にする有名な能面打ちのことなのです。

 武生は名古屋に似て、婚礼の派手なところだといいます。「私は1000万かけて嫁入りさせてもらった」「私の親も1500万出してくれたけど離婚した」などという話を実際に聞きます。そういう習慣がいつの頃だったものかはよくわかりません。私が見聞きした方が実際に婚礼をあげたのは、昭和40年代から60年代くらいかなと思われます。戦前にそんな派手な婚礼があげられたとも思えませんし、もっと田舎の人で「結婚するには、このようなしきたりがあって・・・」など面倒なこと言う方も、じゃあお祖父さんはそうしたのかと問うと「いや、貧乏人だったから」などと仰る。希望・願望・妄想が、ありもしなかった伝統を作り上げてってるんじゃないかと推測しています。
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 いわさきちひろが武生生まれだったのはご存知でしたか?昨年(2005年)は、いわさきちひろ没後30年のイベントが各地で開催され。彼女が生まれた武生でも、生家が記念館としてオープンしました。三軒続きの真ん中の家がそれです。ちひろの母親は貧しい女学校教師として赴任し、結婚後この家の二階で出産しました。

 写真、左のお店は、福井ではよく見かける餅屋さんです。ことあるごとに餅や赤飯をこういうお店に注文するのです。表に止まっている軽自動車もそういうお客さんでした。
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下のURLはテレビ東京「美の巨人たち」で放送された、わいわさきちひろ「虹色の奇跡~線と色が紡ぐもの」の番組内容です。 参考にご覧下さい。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/050402.htm

そういえば、福井ではテレビ東京が見られません。「美の巨人達」は好きな番組だったのに残念です。

 この、児童図書館と見間違えそうな建物は2006年3月時点の「越前市武生図書館」です。昭和52年8月新築の3階建て、市立図書館にしてはかなり小さなものです。実は、大正12年に地元の山甚産業が寄贈した石造りの立派な図書館が直ぐ近くの市役所の敷地内にあったのですが、戦後直ぐの地震で壊れたのだそうです。本でその写真を見たことがありますがかなり立派なものです。

 私は、この小さな図書館が旧武生市の「箱物行政」ではない姿を象徴するようで好きです。だから、今月(2005年3月)一杯で閉鎖され、新しい図書館に移転するのは残念です。そうは言っても建設された昭和52年から世間の状況は様変わりで、市街地に住んでいた市民が郊外に移動し、自動車社会になった現在では、敷地も狭く、実質的に駐車場がないこの図書館の役割は終わり、やはり新築移転は歓迎すべきことなのでしょう。地図


 お医者通りといえばハーレー街のことかと仰るのは、アガサ・クリスティーのファンですね。しかし、ここは日本です。江戸時代の武生は福井藩の一部でしたが、福井藩主のお目付け役の位置づけの家老の館があり、ある程度独立した城下町を形成していたようです。そのため、藩医も存在していて、この通りに多くあったそうです。江戸時代から道路の拡張が行われていないため、今の感覚では「路地」ですね。今でも中村病院、奥村眼科などがあります。特に奥村家は藩医の流れを受け継いでいて、その家伝の史料は大阪の武田製薬に「奥村文庫」として保存されているそうです。
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